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試合日程/結果

2014 J1 第14節 サンフレッチェ広島

<渡邉晋監督記者会見>

<総括>
 お疲れ様です。広島さんの攻撃力を考えたなかで、「まずはしっかりした守備から入ろう」と。そのなかで、「なるべく失点ゼロで推移しながら、勝負どころをしっかり見極めて、攻撃をしかけよう」というゲームプランでした。立ち上がりに最初の我々が押しこんだところで、すかさずゴールができたところはねらいどおりというか、選手が隙を突いてトライをした結果だと思います。
 その後、後半も含めて押しこまれる時間は長かったのですが、そのなかでもカウンターからの決定機ということにかんしては、我々も広島さんに数としては負けないくらいの決定機は作れたのではないかなと思っています。そのなかのひとつ、ふたつでも決めることができれば、もう少し我々のゲームとして全体もコントロールしながら進められたと思います。それでもやはり最後まで粘り強く無失点で切り抜けたというところは、我々仙台の良さだと思いますし、そのへんはまたこれからも突き詰めてやっていきたいと思います。

■得点場面をあらためて振り返ってください。
 その前までは少し相手の最終ラインを突く動きが少なく感じていましたので、そのあたりをまず「積極的にアクションを起こそう。受け手がまずそれを引き出す準備をするなかで、出し手がどう判断するのかというところを増やそう」という話をしていました。
 あの得点シーンが生まれる前にはがしたのは、太田がスペースを突いて動き出したところからのリスタートだったと思いますので、あれをもう少し早い段階からできていれば、もう少し我々も相手陣でプレーができていたと思いますが、それをひとつめですかさず得点に結びつけたのは、本当に素晴らしいと思います。

■森保監督との対戦について、試合を終えられてのお気持ちを教えてください。
 私自身が、仙台で一緒にプレーする前から、森保さんが日本代表で活躍されていたときに、私も当時にボランチでプレーをしていたので、学生時代には自分でお金を払って森保さんのプレーを見に行っていました。
 それぐらい好きな選手と一緒に仙台でやれたことは、私自身すごく嬉しかったですし、サッカーのピッチ内に限らず、ピッチ外でもいろいろ話をさせてもらうなかで、あらためて尊敬する人生の先輩だと、私の中では考えていました。
 その森保さんと、監督として相まみえるというところは、私の中では非常に嬉しいことと同時にいろいろな思いがあります。
 ただそれはチームが戦ううえでは一切関係のないことなので、それにはふたをして、奥底にしまっていたつもりです。まだまだこれからも戦いは続きますし、今日のゲームだけではないので、またいずれ相まみえるときに、またいい勝負をできるようにと思っています。

■4連勝で順位も11位まで上がりました。5月の快進撃を支えた選手の頑張りについてどう評価されていますか。
 まずは、ゲームをよくコントロールできるようになったというところが非常に大きいと思います。シーズンの開幕当初は、どうしても、先に取られれば少し自信の無いようなプレーになってしまいましたし、先に取ってもゲームを自分たちのものとして運べなかったといったところがあったのですが、本当に今はメンタル的にもとても落ち着いて、先に取られても慌てることなく、逆にうちが先にとっても浮かれることなく、地に足をつけて、90分のゲームで相手をいかにしとめようかといったところを考えてプレーできているのが、いちばん大きい要因だと思っています。
 ただし、今日のゲームのなかでも、もっともっと我々が有利になれる状況が作り出せたと思いますし、そのへんは、選手も満足はしていないと言っていたので、もっともっと高められると思っています。

■広島の攻撃に対しての守り方と、実際の評価を教えてください。
 横のスライドというのは、逆に言えばもう少し寄せられた部分があったのではないか、というふうには感じています。ただしそれも、我々が先に点を取ったなかでの、相手の攻撃のしかけの人数といったところで、多少向こうもリスクを冒してでも後方から人数をかけてきましたので、そういった部分では後手に回るシーンが、特に後半に多くなってしまったのはいたしかたないかな、と。
 ただし、おっしゃったように、最後のところで、クロスを上げられても、マークを明確にして自由にやらせなければゴールはやられないので、そういった割り切りといったところは、本当に選手が、よくできたと思っています。
 逆を言うと、それだけ人数をかけてきた相手に対してのカウンターといったものは、後半にあれだけ効いていたので、そのへんも本当に選手がよく状況を見てプレーをできていたと思っています。

■(リーグ戦は)これで中断です。ここまでを振り返ったときに、立ち上がりの悪さの原因は何だったのでしょうか。3.11(の震災)以降に張り詰めていたものが監督交代で次に進めなかったのでしょうか。
 監督交代を決断したのはクラブですし、手倉森(誠・元仙台監督)さんは五輪という次のステージに上がられたことを受けての監督交代でしたが、やはり監督が変われば戦術も変わりますし、その部分で消化しきれない部分と、うまくいかない部分とがあったのは事実だと思います。
 ただし、それに関しては、私も当事者としていたなかで、責任を当然感じていますし、もっともっと何かができたのではないかというのは、今でも思っています。ただし、そこからまた私が就任したなかで、なにぶんシーズン中での交代といったところを考えれば、準備する時間がないので、やはり今までやれていたことを取り戻す作業が優先されるだろうと。といったところで、戦術的な変更も、私の中ではしてきたつもりです。
 おっしゃったように、震災といったものは、このクラブ、そしてこの地域にとって、もちろん日本にとってもそうですし、本当に大きな出来事であったのは間違いありません。それを受けて我々は、希望の光となって進んでいくんだと言って走り出した震災以降でしたが、決して今でもその思いを忘れている選手は誰一人としていません。復興というものはまだまだ続いていますし、まだまだ本当に被災地で苦労されている方もたくさんいますし、そういった人達のことを考えれば、我々はまだまだ希望の光として戦い続けなければいけない、といったものは、何ら変わらず、選手、そしてクラブとして持ち続けているものだと私は感じています。